マテリアル インテグレーション 2007年11月号
巻頭言


生命機能と材料特集号の出版にあたって
岡山大学大学院自然科学研究科機能分子工学専攻 教授 尾坂 明義

正倉院所蔵の瑠璃椀や朱塗りの象牙製のばちるの前に立つと,知らず知らずのうちに歴史という名の人類の記憶をたどろうとする自分に気づく.45億年前ともいわれる地球の誕生以来,さらに何十億年という気の遠くなるような時間を経て生命が誕生した.母なる大自然はこの間何を待っていたのであろうか,現代のすべての生き物に通じるDNAのシステムを作り上げるのにか.あるいは,そのシステムを作りあげたときの将来の姿を考えていたのでありましょうか?この45億年という時間は,仏教でいう弥勒菩薩の出現とほぼ期を一にする(実は56.7億年).人類の叡智はその精緻な生命システムの基本的要素を解読することができた.その今こそ,生命システムのもたらす奇跡的結果として営々と営まれてきた生命に対し、心からの畏敬を表す時であろう.

珊瑚虫はどのようにしてその生命の維持に適切な構造と各々に適切な位置を知り,まさにその場所に落ち着くことができるのか.アンモナイトやカタツムリ等巻貝類は,どうやって高等数学で初めて記述できるぐるぐる巻きの構造を知り,必要十分の成長を遂げ,それがすめば成長を止めることかできるのはなぜ・どうしてか?,その生命システムのなせる技を知るにつけ只々驚くばかりである.私たちの手足はいくらかの制限はあるもののほぼ自由な運動ができる.手をゆっくりとひらりひらりと翻しながら,禅の英傑である鈴木大拙は「これを妙というんだ」といったとか.腕を下から横に振り上げ振り下ろしている様子を表している図は,レオナルド・ダ・ビンチの有名な人体の運動図である.この図を描いている時,レオナルドの胸中には何が去来していたのか,想像するだに楽しい.今はマイクロソフトの創始者の手中にあるこの本物を先日東京で目の当たりにした時(記憶違いでなければよいが),天才は生命機能の神秘というよりは,人体の運動機構にしか目がいっていなかったのではと,筆者は考えている.

この美しい考え抜かれた生命の働きに対して崇敬の念を抱きながらも,現代の私たちが,そこから何かを真似ぶ(学ぶ)ことを,母なる大自然はきっと許して下さると信じている.それは,与えられた生を全うする,という大きな目標と命題が与えられているからに他ならない.すなわち,生命体の構造自体とその生成の機構を学び,近代科学の知恵を結集して,生命機能を受け持つ人工の材料を作りだすことは,大自然からすると人の知恵など知れたこと,身の程知らぬと哄笑に値するかもしれぬが,大型ジェット機を飛ばすことと比べれば,その方がよほど神を恐れぬワザであろう.機構を知り,その物理的・化学的機能を発揮する生命機能構造体をつくり(真の生命機能構造体に肉迫し),実際の生命体がいかにそれらを認識するかを確かめることは,決して母なる大自然に逆らうことではない.

今回の特集号には,これまで生命機能材料に携わってきている国内の碩学が,それぞれの得意とする領域について,その研究の粋を解説している.その意味で,生命機能マテリアルのいわば最高の解説書であろう.